幸せは、執着を捨てた先に。

幸せになりたけりゃ、執着を捨てることさ。

本当にこれにつきる。

 

願望やら、夢やら、希望やら、持たないことさ。

 

すごくドライでつまらなくて、諦めやん?

 

ってなりそうだけど、実際はそうじゃない。

 

僕が幸せを噛み締めたこと。

それは、執着を捨てて、好きなように生きたこと。

これは、マジで幸せだった。

 

反対に何が得たとしても、

それが執着しているものだとしたら、一時的には、嬉しくても段々とそれにたいする執着が湧いてくる。

 

 

自分は宇宙のすごい力で運ばれている。

そう、信じるだけでも気が楽になる。

自分で選んでいるようで、選ばされているだけだと思えて来るから。

 

大きな流れが、僕の小賢しい判断を超えて運んでくれている。それを本気で信じられたなら、努力して何かをつかむっていう感覚がなくなる。

 

いや、絶対良い方行くでしょっていう安心感が生まれてくる。

 

 

その絶対上手く行くは、自分が思った通りの上手く行くだはなく、人知を超えた上手く行くだから、イチイチ判断を下さなくてもいい。むしろ、自分の判断を加えると、かえってぼやけてわからなくなる。

 

そう。逆説的だけど、本当の意味で上手く行くって、実は究極は、願望を持たないことと同義語。

 

でも、やりたいこと、実現させたいことだって出て来る。それはそれでいい。でも、それを無理やり実現させなくてもいいやぁ。必要があれば、実現するよね。くらいな軽いノリ。

 

やりたいことしかやらないも、宇宙を信頼しないと出来ないよね。

 

フッとハッとやりたくなったことをすることが、自分の人知を超えた素晴らしい場所に運んでくれるなんて論理的に考えるとただのバカだからだ。

 

でも、、、

理屈通りなんていかない。

現実を見ていくと、ほとんどのそれは、「たまたま」上手くいっていることが、ほとんどだ。

 

だから、ぼくは執着を捨てて、バカみたいに流れを信じてみる。

 

これは、一つの実験で、体験していけば、とてつもないところにいけるからね。

 

もう、がんばるのはやめよう。