遠藤保仁のリアリストな面から学ぶ

遠藤保仁は、リアリストだ。
彼には悩むということが、ほとんどないらしい。
それを実現させているのが、「自分がコントロール出来ない対象に対して、なんとかしようとしない」というところにあるのだと思う。
 
 

 

良い意味で、様々なことを諦められるのだ。
 
 

 

自分とはなんなのだろうとか、
他人はどう評価してるんだろうとか、
この先どうなっていくんだろうとか、
 
 

 

そういった頭の中で広がっていく妄想と無縁なのだ。
 
 

 

特に他人のこと、外側のことを強引になんとかしようとしない。それよりもその状況、その状況で、自分の出来ることを淡々とこなしていく。
 
 

 

ストレスというものの源泉は、基本的に自分の頭の中の妄想がきっかけになっている。ちょっとした音がストレスになる人もいるし、大きな音がストレスに感じない人もいる。
 
 

 

遠藤選手は、いわゆる何も感じない鈍感なタイプではなさそうだ。感じはするけど、上手に流せる。その上手に流せる理由というものが、良い意味での諦めなのだろう。
 
 

 

こだわりというと、とてもかっこよく響きそうだけど、実はこのこだわりがもとで、多くの人は自分から悩み苦しんでいる。
 
 

 

「こうじゃなきゃいけない」という、執着の様なものから、「こうなりたい」という願望まで。
どれも特定の結果に強い期待を寄せている。
 

 

そして、その期待通り上手く行かなければ、落ち込むというわけだ。
 
 

 

例えば受験勉強でも、絶対に受かりたいと思っていれば、思っているほど、落ちた時のショックも大きい。
 
 

 

遠藤選手の様なタイプは当然落ちたらショックだろうけど、やっぱりあまり引きずらないんじゃないだろうか。悔しいという感覚は当然あるだろうけど、それ以上に、結果がそうなったなら、仕方ないか。と、すぐに受け止める様に思う。
 
 

 

彼は失敗が怖くないという。
怖くない理由も、上記の通り失敗することを特別なこととして捉えていないのだ。当然何かをすれば、起きてくるものだと、想定の中に入れてしまっているのだろう。
 
 

 

期待をしないというのは、多くの場合ネガティブなものとしてとらえられるけど、実は楽しく生きていく上で、とても重要な要素になるのだ。
 

 

期待をするとどうしても、期待通りにコントロールしたがってしまう。期待をしていなければ、元々、特定の結果を求めないから、出たものを素直に受け止められる。
 
 

 

そう考えていくと、期待して良いことなんてほとんどないんじゃないだろうか?期待しないでとにかく淡々と自分の出来ることを繰り返す。
 
 

 

そしたら、それなりに抜け出す方向性も見えてきたりして。そこからまた、目標を簡単に立てて、そこに向けて淡々と努力を重ねていく。
それが、遠藤保仁のブレないマイペースな姿勢を生み出しているのだと思う。
 
 

 

ある種、悟りの境地に近い。しかし、やっていることは、観念的ではなく、極めて現実的なリアリストだ。
 
 

 

もっと抽象的な思考を捨てて、期待を捨てて、とにかく淡々と自分の出来ることに集中していけば、余計なことで苦しまないで、かつ結果としても良い方向に転がっていく気がするのだ。
 
 

 

観念が好きな僕には、期待をしないリアリストであることが必要になる。
 

 

遠藤選手のあのマイペースの裏にあるそういった部分をもっと真似ていければと思う。